ディ・エアーデのワインと店主紹介
"古き良き、新しいドイツワイン"
ディ・エアーデでは、
在独歴16年、ワイン醸造と栽培の
ドイツ国家資格を取得した店主が、
自ら足を運び、試飲、ワイナリーとの
対話を行い、仕入れをしております。
(コロナ禍では、現地へ赴いての直接の買い付けが出来ませんでしたが、信頼するワイナリーとの綿密なやり取りの上、輸入致しました。)
在独時代から関わりがりあり、
顔も性格もわかるワイナリーのワインのみ
に絞っているため、ワイン産地全てを網羅するには至りませんが、100種類近い、ワインを取り揃えております。
伝統があり、有名なワイナリーのものもございますが、
日本では、あまり名を知られていないワインもございます。
それらは、次世代を担う若い醸造家の物も多く、
伝統的な手法を踏襲しながら、
最新の技術や知識を取り入れたワイン造りに挑戦しており、
どれもが個性的です。
是非、色々お試しいただき、好みの一本を見つけて下さい。
一本だけではないかもしれませんが…
<店主・高瀬亮からのご挨拶>
1998年。サッカー日本代表が初のワールドカップ出場を果たした年。
深夜、日本のテレビでパリの開会式を見た私は、日本対アルゼンチン戦を、ドイツの小さな町ローテンブルグで観戦していました。
観光客向けのワイン販売をするため渡独した私は、そこでワインと何故か琥珀を売っていました。(笑)
その後、様々な職場に転職することになります。
外国人であるため、ドイツに留まるには、ビザの取得が必須なのですが、常にワインに関わる仕事が見つかるわけではなく、様々なお仕事を経験しました。
そんな中、ハイデルベルグの日本料理屋で働いていた頃、休みの日はワイナリーを巡っていました。
そこで出会った醸造家達や、そのワイン造りに感銘を受け、人生の転機を迎えた私は、ワイン造りをする決意をします。
この時、現在の様にインターネットが普及しておらず、醸造家になるための大した情報もなかったのですが、情報収集を行い、色々なワイナリーを訪ね、なんとか醸造家への道が開けます。
その後、プファルツ地方のワイナリーでの一年の修行を終え、ガイゼンハイムワイン大学やオッペンハイム、バートクロイツナーハのワイン学校でワインを学んだ私は、いくつかのワイナリーで働きました。
ドイツ修行時代の店主・高瀬亮
しかしながら、前述した通り、ビザの問題は常にあり、更には資格をとったことにより、ワイナリーは一定額以上の給料を補償しないといけないため、外国人である私は雇われにくくなりました。(これは人種差別とかでは無く、当然だろうと理解しています。それでも雇ってもらえる実力は、私にはありませんでしたから。)
ラインガウ地方にて
その後、常にはワインに関わることは出来ませんでした。しかし一生ドイツワインに携わっていこうと決めていた私は、例え長い間ワインとはかけ離れた仕事をしていてもいつかドイツワインの世界に戻れると信じ、紆余曲折を繰り返し、気が付けば16年の月日が流れていました。
振り返れば、16年間で取得したビザの種類はその時々の事情に合わせて変化したので、学生ビザ、就労ビザ、語学学校生ビザ、実習生ビザ、自営業のビザなど多岐に及んでいました。(笑)
やがて日本に帰国した私は、ドイツワインの輸入販売を決心します。日本でのコネや経験が皆無な私は、なかなか起業にこぎつけることができませんでした。
しかしながら、多くの方々のお力をお借りし、このサイトを立ち上げることができました。
このサイトが、少しでもドイツワインを知っていただける一助となれれば、幸いです。